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DHC吉田会長の出自は? [政治]

DHC吉田会長の出自は?


みんなの党の渡辺喜美代表が支援者であるDHCの吉田嘉明会長の個人口座から
選挙前に8億円ものお金を借り入れていたことが明らかとなり、辞任という大きな
結末を迎えた今回の騒動。


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DHC吉田会長は化粧品業界へ参入する際に辛酸を嘗めた経験から
官僚を嫌っており、官僚改革を進めるみんなの党を支援した経緯があります。


そんなDHC吉田会長がなぜ今回の件を公にしたのかですが、
みんなの党と同じように脱官僚を掲げている結いの党に参院予算委員会の
ポストを渡そうとしない渡辺代表が耐えられなかったと吉田会長自ら語っています。


渡辺代表としては公にされるなど想定外。
なので「熊手を買った」とかどんだけ腹筋崩壊させたら気が済むんだレベルの
発言などなんとも判然としない弁明で苦しんだのでしょうね。


茶番はさておき注目すべきは何億円という私財をポンと貸すことのできる
吉田会長の出自。どんな方なのでしょうか?


DHC吉田会長は1941年1月31日佐賀県唐津市に誕生されました。


1941年というと真珠湾攻撃をしかけ太平洋戦争に突入した年です。
突入は12月でしたが、この年は戦争に向けて統制が厳しくなっていきました。


・米の配給制度
・一般車のガソリン使用禁止
・肉なしの日
・お酒が切符制
・コーヒーが代用コーヒーに
・金属回収令
・学徒動員のための卒業繰上げ



などです。いまでは信じられない世の中ですね。。


唐津市は玄界灘に面し、福岡市に隣接している佐賀県の中でも
大きな自治体です。都市部が唐津藩の城下町でした。


その後の吉田会長の出自というか経歴は同志社大学文学部英文学科卒業という
情報しかなく、青春時代をどのように過ごされたのかわからないのですが、
この時代に大学を卒業していることから裕福な家庭でお育ちに
なったのではないかと思います。


DHCは1972年に吉田会長が31歳の時に創業された会社です。
意外と知られていませんが、DHCは「大学翻訳センター」の略称で
洋書の翻訳委託業を大学の研究室むけに行なうサービスが始まりでした。


創業までの経歴は分かっていませんが、大学が英文学科で
創業も翻訳事業ということですから、この分野の仕事に就かれていたのは
間違いないと思うですが、DHCの創業までに5回の倒産を経験したという
情報もありました。


その後の化粧品事業への参入と目まぐるしい成長はご存知の通りです。


この化粧品事業への参入時に受けた官僚からの嫌がらせ
官僚嫌いへとつながり、官僚制度改革を謳うみんなの党の支持に
つながったということなんですね。


以上、DHC吉田会長の出自に関する記事でした。

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